2022年08月19日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その28

孫子の兵法で、

勝敗は戦う前から決まっているというのがあって

(→詳しくはこちら 「ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その23」)


準備が大事。勝てる戦しかしないこと。

というのだが、それを三国志で実践すると、

スリルが無くてつまらない気がしてきたので、

今度は、ギリギリの闘いを仕掛けてみよう。




208年7月

まずは戦略通りに、[亠兌]州から

手薄となった揚州に攻める。

敵の武将は、陳武ただ一人。




程c(兵0)と曹彰(兵5)の二人で行こう。

程cは兵0なので機動力要員。


これでも余裕かもしれないけど、




4日目

曹彰が城の背後から回り込み、城の陳武に攻撃を仕掛ける。

陳武を捕虜にした。



あっさり攻略。




陳武を[亠兌]州に送り、

[亠兌]州の武将を全員揚州に送る。








2022年08月15日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その27

予州の城の守りは

リョウ統、劉曄、成宜、張南の4人。



まずは張南で川からコウエキに攻撃。

コウエキを倒した。




2日目

偵察をしてみると、

敵の総大将は黄忠。


川に入ってきた留平(武力65・平軍、兵10)に
張南(武力61・水軍、兵9)が攻撃を仕掛ける。

留平を倒したが、兵が7に減ってしまった。


さらに黄忠に計略を仕掛けられて、張南の兵が4に減ってしまった。




3日目

他の3部隊を偵察してみる。

・賈華(山軍・武力62)
・周泰(水軍・武力72)
・太史慈(水軍・武力87)


劉曄で太史慈に計略を仕掛けてみるも失敗。


黄忠に計略を仕掛けられて、張南の兵が3に減ってしまった。




4日目

張南、黄忠から一歩離れる。

劉曄が周泰に計略を仕掛けた。兵10→8→6。

太史慈には何度掛けても失敗。



周泰が、城のリョウ統に攻撃を仕掛けてきた。

周泰を捕えた。




5日目

劉曄が太史慈に何度か計略を仕掛けて

なんとか兵を減らした。兵10→8→6




6日目

劉曄が賈華に計略を仕掛けた。兵10→8→6。


リョウ統が太史慈を攻撃。


この二人、武力が同じだ。


太史慈を捕虜にした。

さらに賈華を攻撃して倒した。




7日目

近づいてくる黄忠に劉曄が計略を仕掛ける。兵10→5


リョウ統で黄忠に攻撃。

黄忠を捕虜にした。


城を守り切った。





揚州を見ると、もぬけの殻で、陳武一人で守ってる。


次回、[亠兌]州から出陣しよう!







2022年08月11日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その26「風林火山」

孫子」 軍争篇第七

そこで、戦争は敵の裏をかくことを中心とし、利のあるところに従って行動し、分散や集合で変化の形をとっていくものである。だから、風のように迅速に進み、林のように息をひそめて待機し、火の燃えるように侵奪し、暗やみのように分かりにくくし、山のようにどっしりと落ちつき、雷鳴のようにはげしく動き、村里をかすめ取〔って兵糧を集め〕るときには兵士を手分けし、土地を〔奪って〕広げるときにはその要点を分守させ、万事についてよく見積りはかったうえで行動する。あいてに先きんじて遠近の計――遠い道を近道に転ずるはかりごとーーを知るものが勝つのであって、これが軍争の原則である。



臨機応変に動くこと。


さっそく実践してみよう。



208年6月

永昌の城の様子を見てみる。

武将は5人。

君主の劉璋に、

忙牙長(山10)
金環三結(山10)
尹賞(山10、忠誠度40)
阿会喃(水7、忠誠度36)










成都の守りに、

荀ケ、法正、牛金、越吉

の4人を置いて、



成都から永昌に攻め込む。

典韋、孫礼、徐晃、姜維、兀突骨、許チョ、鄂煥、曹仁

の8人


総大将は徐晃。





姜維で尹賞を寝返らせて城攻めさせるか、
それとも、許チョでガンガン突っ込んでいくか。


おそらく、君主の劉璋は1ターン目で退却するだろうから
1ターンが勝負。


ここはやはり、先鋒の許チョに突っ込ませよう。



金環三結に攻撃。

金環三結を捕虜にしたが、

許チョの兵が減ってしまった。(兵5→3)

しかも、騎馬隊に少し武将の体力を削られてしまった。

(体力98→87)


ちなみに、金環三結は体力1だった。



そのまま許チョが城に隣接して、劉璋に攻撃。

兵3で倒した。




「劉璋は、戦いに敗れ、

その領地はすべて

曹操のものとなった」



味方になった城を見てみると、

フリョウ2人

王累、伊籍。


雲南8人。

呂凱、董允、申耽、黄権、孟優、高定、馬休、朱褒。



メンツを見ると、

成都へは攻めてこれないな。


ほとんどまともな戦力は残ってなかった。


フリョウと雲南、それぞれ民忠を上げて、


雲南から成都に武将を送って、

永昌から雲南に主力を送っておく。


と思ったけど、雲南には病院があるから

ちょっと誘ってみようかな。


董允と申耽は使えそうだから残しておこう。


永昌の主力の代わりに、成都から雲南に送っておこう。

荀ケ、法正、牛金、越吉の4人。


ちょっと弱すぎるから

曹仁、許チョ、阿会喃、金環三結を永昌から雲南に送っておこう。

徴兵もしたいし。



徴兵を終えたところで、


孫権軍が予州に攻めてきた!

さっそく、呼び込みに成功したようだ。









2022年07月27日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その25

208年5月

漢中から成都に攻める。



山軍:典韋、許チョ、徐晃、兀突骨、孫礼、鄂煥、姜維、

水軍:荀ケ


の8人で攻める。

総大将は徐晃。






漢中の守りに、

曹仁、法正、牛金、越吉を置いておく。




敵の城の守りは董荼奴。

城の東に費[示韋](知力85、兵0)

城の南に閻圃。


ここは弱そうだ。

先鋒の許チョ一人で勝てそうだ。


まずは、許チョが費[示韋]に攻撃。

費[示韋]を捕虜にした。



さらに城の董荼奴を倒し、
閻圃に攻撃。これを倒した。


成都を落とした。

金5071もあった。

貯めこんでるなぁ。






守りが手薄な漢中に、

安定から高翔、孟達、ジンソウ、張任、蒋奇、程普の6人を送る。安定には、梁綱1人残しておく。

費[示韋]を病院に送って体力を回復させ、漢中に送る。


漢中から曹仁、法正、牛金、越吉の4人を成都に送り、


西平関から司馬懿、司馬昭、李堪、徐盛、孟獲を漢中に送る。



さあいよいよ次回は、永昌を攻める予定。








2022年07月21日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その24

208年4月

いよいよ、侵攻開始!



まず、予州から江夏を攻めて、

予州の城を手薄にしておいて、揚州から呼び込もう。



山軍:于禁、淳于瓊、曹洪

水軍:審配、韓猛、呂虔

平軍:張[合β]、曹植



総大将は于禁。





予州の城の守りは

リョウ統、劉曄、成宜、張南の4人。




曹操軍 7000人 VS 孫権軍 8000人


1日目。

偵察を開始。

城を守るは甘寧(武力94)。

これは厳しい戦いとなりそうだ。



城の東に黄祖(知力・武力45)。

敵の弱点をさっそく見つけた。

黄祖が山に陣取っている。

共殺で甘寧の兵も減らせそうだ。

敵の弱点を攻めるは、兵法の基本である。



城の北に朱然(知力35・武力77)

これも山に陣取っている。



城の南に蘇飛(武力63)

城の西は譚雄(武力76)



城の前にいるのは、トウリュウ(平軍、知力31・武力53)

朱桓(山軍、知力80・武力80)

知力80以上なので、まずは朱桓を何とかしたい。

陳寿(水軍、知力38・武力62)



余った機動力で全軍少しずつ前へ。




2日目。

曹植で黄祖に共殺を仕掛ける。

3回目で成功。800人減らせた。



3日目。

曹植で1歩近づき、黄祖に共殺を仕掛ける。

3回やるも失敗。



4日目。

審配(武力84)で先陣を切る。

川で朱桓に攻撃。

朱桓を倒した。



審配が甘寧に計略でごっそり減らされた。(7→3)

陳寿が攻めてきた。

すぐに退却。


今度はトウリュウ(兵8)が攻めてきた。

トウリュウを倒したけど兵がまた減ってしまった(3→1)。

陳寿がまた攻めてきたのですぐに退却したが

体力が33も減ってしまった。




5日目。


審配が逃げながら黄祖に共殺を仕掛ける。

3回目で成功。600人減らせた。

そのまま審配は、曹植のところまで逃げてきた。



6日目。
全軍少しずつ近づく。



7日目。
曹植で黄祖に共殺で300人減らす。



8日目。
韓猛で黄祖に攻撃。

黄祖を倒した。


城に隣接して甘寧に攻撃。

韓猛(兵10→7)
甘寧(兵5→1)退却して体力が減った。

残り機動力は9

甘寧を攻撃して倒した。

兵は2まで減ったが、そのまま城に入城。





9日目。

一目散に逃げだした敵を追いかける。


曹洪が山から譚雄に攻撃。倒した。




10日目(最終日)。

呂虔(水軍・武力68)で朱然(水軍・武力77)に川で攻撃。

朱然を捕虜にした。



残り機動力13

ヤバいな。




曹洪が陳寿に攻撃。

あと一歩のところで逃げられた。



韓猛が

「曹操さま

戦争が長引いておりますので

いったん退却しなければなりません」


と言ってきた。



あと一歩のところで全軍退却。

捕虜にした朱然はどさくさに紛れてどこかに行ってしまったな。




江夏、残るは蘇飛ただ一人。


とりあえず、全員徴兵してもう一度攻めこもう。

審配の体力も回復させておいた。






再び、予州から江夏を攻める。



山軍:于禁

水軍:審配、韓猛、呂虔


総大将は于禁。




1日目。

全軍前へ。



2日目

審配がまた先陣を切って城の蘇飛に攻め込む。

蘇飛を倒して江夏を落とした。




民に施しをして、


残りの武将を予州から江夏に移動させる。


淳于瓊、曹洪、張[合β]、曹植。




活躍した審配と韓猛に褒美を与えておこう。








 

2022年07月15日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その23

孫子の兵法

形篇(第四)-2


(前略)この故に勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いてしかる後に勝を求む。(『孫子 (岩波文庫 青207-1) [ 金谷 治 ]』 p.58)





つまり、戦いに勝つ者は戦う前からすでに勝っているということだ。


(勝てる戦しかしない。必ず勝てるところで戦う。行き当たりばったりではなく、絶対勝てるところまで戦略を練り上げて行動するのが大事)


必ず勝てる戦略を立ててから行動する。それでも失敗したら、その敗戦を生かして戦略を練り直して再チャレンジする >行き当たりばったりでとりあえず行動する >行動しない



さっそく、実践してみよう。





今後の戦略としては、

まず、予州から江夏を攻めて、

予州の城を手薄にしておいて、揚州から呼び込もう。

その後、揚州に[亠兌]州から攻め込む。

[亠兌]州には、夏侯惇・夏侯淵・馬超の軍を駐留させておく。



荊州からは零陵を攻めて、

荊州の城を手薄にしておいて長沙から呼び込もう。




涼州から安定に、安定から漢中に武将を送っておいて、

漢中から成都、永昌を攻めて、(漢中には西平関と安定から補強しておく)

成都の城を手薄にしておいて、フリョウから呼び込もう。

その後、フリョウに漢中から攻め込む。

さらに衝陽からイクリンに攻めこむ。

最後に永昌から雲南を攻めて劉璋を滅ぼす。



その後は長沙、交州、建安、建業と攻め陥としていけばいい。


徐州の張遼軍が暇なら、徐州から時々建業に攻めてもいい。

攻め獲れそうならそっちからも進軍できる。





208年1月

涼州から安定に曹仁、荀ケ、牛金、孫礼、姜維、鄂煥、高翔を移動。

安定から漢中に曹仁、荀ケ、牛金、孫礼、姜維、鄂煥を移動。

涼州から安定に、蒋奇を移動。




幽州から冀州に夏侯惇、夏侯淵、馬超、馬岱、程c、楊秋、曹彰、文醜を移動。

冀州から幽州にホウ柔、ボクトツ、沮鵠、呂曠を移動。

幽州から冀州に陳琳、李厳、雷薄、賞金を移動。





208年2月

予州から洛陽に曹叡、戈定、司馬炎、路招、麋竺を退避。

[亠兌]州から予州に張[合β]、曹植、韓猛、呂虔、成宜、張南、

冀州から[亠兌]州に夏侯惇、夏侯淵、馬超、馬岱、程cを移動。

あっ、張[合β]を移動し忘れてた。


急きょ、[亠兌]州から荊州に陸遜を移動。

[亠兌]州から予州に張[合β]を移動。


[亠兌]州から冀州に公孫康、雍ガイ、韓瑛、蒋幹、侯成を移動。

冀州から[亠兌]州に曹彰、文醜、蒋欽、楊秋、雷薄、陳琳。


青州から徐州に王平、田豊、孫翊を移動。

これで配置換えは終了。


後は攻めるだけ!




208年3月

攻める前に、民忠が60以下の城で産業やっておこう。

幽州で産業やろうと思ったら知将がいなかった。

青州から幽州に陳震を移動。








2022年07月10日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その22

207年12月

安定から涼州に攻めようと思ったけど、

山軍が鄂煥しかいなかったので、

安全地帯となっている長安から呼び寄せよう。

長安には曹熊1人を残す。





安定から涼州に進軍。

山軍:姜維、鄂煥、孫礼

水軍:曹仁、蒋奇、荀[或〃]

平軍:牛金


総大将は曹仁。



孟達、ジンソウ、張任、程普、梁綱を安定に残す。




1日目

曹操軍 7部隊(兵5500) vs 劉璋軍 7部隊(兵4400)

偵察をしてみる。

城を守るは、高翔(武力62)。

城の前(南)にいるのは楊昂(平軍、武力56)

さらに南に張松(武力18、知力97)


鄂煥で張松に攻撃。張松を倒した。

さらに楊昂を攻撃して倒した。

そのまま城に攻め込み、高翔に攻撃。

高翔を捕虜にした。そのまま城に入ろうとしたけど機動力が5で足りない。


計略で減らされた。(兵7→2)



変わって城に入ったのは[登β]芝。


鄂煥が兵0の向寵を攻撃して捕虜にした。

ここで鄂煥、いったん退き、

代わりに蒋奇が城に近づき、

湖から兵8に攻撃。相手は馬遵だった。

何度も退却する馬遵をなんとか倒した。

そのまま城の[登β]芝を攻めて捕虜にした。



涼州を手に入れた。

鄂煥と蒋奇だけで勝てた。



これで幽州の夏侯惇・夏侯淵・馬超軍を孫権攻略に回せる。







2022年07月08日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その21

三国鼎立。


城の数は、
曹操軍が一番多くて、17

約半分だ。


孫権軍 7個

劉璋軍 6個。




このあたりで、今後の戦略を立てよう。




今、攻撃軍としては、5部隊。


先ほど袁紹を攻めた幽州の夏侯惇・夏侯淵・馬超軍。

荊州の関羽軍。

衝陽の張飛・趙雲軍。

西平関の司馬懿軍。

漢中の許チョ・典韋・徐晃軍。



徐州、[亠兌]州、予州はそのまま守りを固めて、

安定の姜維軍に西涼を攻めさせて、

(兵力が足りなければ夏侯惇・馬超軍を呼び寄せてもいい)


関羽軍で荊州南部を奪い、

漢中の許チョ・典韋・徐晃軍と司馬懿軍で劉璋軍を攻めて行こう。


衝陽の張飛・趙雲軍は、孫権軍と劉璋軍どちらでも行けるようにしておこう。

どちらかといえば、劉璋軍より孫権軍の方が強そうなので、

張飛軍も孫権に当たらせたい。



同時進行でやっていくか。








2022年07月07日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その20 〜袁紹討伐〜

気を取り直して、袁紹軍攻略再チャレンジ。




207年10月

袁紹軍は遼東1つを残すのみ。


幽州から遼東を攻める。

水軍:夏侯惇、曹彰、楊秋、蒋欽

山軍:夏侯淵、馬超、馬岱、雷薄、陳琳、

軍師:程c



総大将は夏侯惇。


留守番は李厳。



山軍は北から、水軍は西から攻める。

前回は、城の袁紹を目指してひたすら攻めて失敗したので

(先鋒の雷薄があっさり袁紹を倒してしまい、人数があふれてしまい、味方が大量に消えてしまった)


今回は周りから少しずつはがしていく作戦。






2日目

軍師の程cが城に近づき、共殺の計を仕掛ける。

城の袁紹の兵も含めて計900人減った。



3日目

水軍の楊秋(武力66)が先陣を切る。

李孚(武力23)を倒した。



続いて、高覧(武力75)の陣に攻め込む。

高覧を倒したが、楊秋の兵も3まで減ってしまったので
後ろに戻す。


平軍10が川に入って楊秋を追いかけてきた。

なんと文醜!(武力93)

一騎打ちに持ち込んで文醜を捕虜にした!


地の利を生かして、兵3で兵10の文醜を捕まえた。

楊秋は兵0、体力37まで減ったから
退却させよう。

先陣切らせてたけど、忠誠度が67もあったのか。

もっと大事に使おう。





4日目

全軍少しずつ前へ。




5日目

馬超(武力98)で蒋義渠(武力58)に攻撃。捕虜にした。兵4に。

続いて、逢紀(武力42)に攻撃。逢紀を倒した。兵3に。

袁紹が城を打って出てきた。

代わりに水軍の10が城に入る。たぶん呂翔。




6日目

雷薄(武力87)で楊祚(武力85)に攻撃。

さらに雷薄で袁紹に攻撃。

袁紹は退却して脱走兵も出た。兵7→2

もう一度、楊祚を攻撃。

楊祚を倒した。


雷薄が袁紹の篭絡で寝返ってしまった!

まあでも、寝返る前に楊祚を倒しておいてよかった。





7日目

蒋欽で郭図に攻撃。捕虜にした。

さらに王建(武力15)に攻撃。王建を倒した。

蒋欽まで寝返ってしまった。






8日目。

程cに篭絡をさせるよりも、さっさと袁紹を倒してしまおうかな。

5人倒して1人退却させてるから、

あと3人退却させれば行けるはず。


11+11-1-5-1=15



馬岱と陳琳を退却させる。

夏侯淵で袁紹に隣接。

残り機動力は18。


念のため、馬超と曹彰も退却。


夏侯淵で袁紹に攻撃。

3回攻撃を仕掛けて袁紹を倒した。



袁紹は戦いに敗れ、

その領地はすべて

曹操のものとなった。




寝返っていた雷薄と蒋欽も無事戻ってきた。


新たに呂翔、袁譚が仲間になった。



呂翔、袁譚、蒋義渠、郭図は遼東に置いておこう。


残りは全員幽州へ。

体力回復させて徴兵。

先鋒を務め、文醜を捕まえる活躍を見せた楊秋には褒美も与えておこう。

ブログを遡って読んでみたら、今回だけじゃなく、過去にも、姜維や馬岱を捕まえて大活躍している。

楊秋なかなかやるな。文官みたいな顔してるのに。




袁紹を倒したことで、曹操、孫権、劉璋の三国志となった。








 

2022年06月30日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その19 〜袁紹討伐〜

207年10月

袁紹軍は遼東1つを残すのみ。


幽州から遼東を攻める。

水軍:夏侯惇、曹彰、楊秋、蒋欽

山軍:夏侯淵、馬超、馬岱、雷薄、陳琳、

軍師:程c



総大将は夏侯惇。


留守番は李厳。



山軍は北から、水軍は西から攻める。

城の袁紹を目指してひたすら攻めるのみ。



1日目、全軍少しずつ前進。

2日目、

程cで城に隣接している呂翔に共殺を仕掛けてみたが失敗。


3日目、全軍少しずつ前進。

馬超が近づきすぎて敵の計略で兵を減らされてしまった。
(兵5→4→3)

雷薄はなんとか耐えた。




4日目。

先陣を切るのは、雷薄(武力87)。

どんどん突っ込ませよう!



まずは蒋義渠(武力58)に攻撃して倒した。(兵10→8)

続いて逢紀に攻撃。捕虜にした。(兵8→8)


11人対11人。

君主の袁紹は味方にならないから

合計21人。

城に12人は入れるから、9人はあふれる。

蒋義渠は倒したから、残り8人。



続いて侯覧(武力75)を攻撃。
2回攻撃して兵を3まで減らした。


さらに城の袁紹を攻撃。
一騎打ちで袁紹を討ち取った。



しまった。12人の枠からあふれて馬超も馬岱も雷薄も蒋欽も陳琳も程cも消えてしまった。

これはさすがにやり直そう。

まさか1回の攻撃で袁紹を倒してしまうとは思わなかった。


適度に減らして退却しようと思ってたのに。




それにしても、こういうときに味方が消えてしまうバグ、何とかしてほしいな。






2022年06月23日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その18 〜馬騰討伐〜

207年8月


安定から馬騰軍の西平関に攻撃。

馬騰、最後の城だ。



司馬懿、司馬昭、陳蘭、

李堪、馮習、ジンソウ、孟達、韓徳の水軍5人衆。

総大将は、司馬懿。



程普、張任、蒋奇、姜維の4人を安定の守りに残しておく。



お金が無いので、長安から金1000送って、いざ出陣!




敵は8部隊。

城を守るはおそらく馬騰。


軽く偵察をしてみると、

城の東に徐盛(平軍・武力85)。

忠誠度も高いので、水軍で川で攻撃したい。




その北東に韓h(山軍、兵8)。

ちょうど攻めに参加している韓徳の息子だ。

親子対決させてみようかな。


雅丹(平軍、武力67)




城の南に鄂煥(山軍、武力76、忠誠度20、兵9)


平5は馬玩(武力60)

平7は程銀(武力71)



城の北に趙月(平軍・武力60、兵0)

城の西に孟獲(水軍・武力72、忠誠度33、兵8)



鄂煥と孟獲の二人は寝返りそうだ。



敵に知力80以上はいないので、

忠誠度が低い武将でも安心して攻められる。



ついでに、城の武将も偵察。

やはり馬騰(武力83、兵8、知力80)


おっと、知力80にアップさせてた。

篭絡できるじゃないか。

一応偵察しておいてよかった。


うちで一番武力が高いのが陳蘭(武力83)なので

陳蘭で最終的に城攻めするから、
それまでにできるだけ減らしておきたい。



まずは誰で行くか。



まずは馮習に先陣を命じた。

兵5の馬玩に川から攻撃。

馬玩は退却して体力が32減った。


馮習は計略をかけられないように少し離れた砂地に退避。



次に、韓徳(水軍・兵10、武力51)が韓h(平軍・兵8、武力57)を川で攻撃。親子対決。


韓hを捕虜にした。兵は1減って9になった。


勢いに乗って雅丹を攻める。

雅丹を倒した。



計略でたくさん減らされて兵2に。

平軍の趙月を攻めて捕虜にした。





馮習で馬玩に攻撃。

捕虜にした。


さらに徐盛に攻撃。

徐盛も捕虜にした。




韓徳を追って、城の馬騰が出てきた!

代わりに孟獲が城に入った。


韓徳が馬騰に隣接してるので少し離して、

司馬懿で少し近づき、鄂煥に篭絡をかけるも失敗。




馬騰の篭絡で韓徳が寝返ってしまった!


司馬懿でもう少し近づいて鄂煥に篭絡を仕掛けるも失敗。




難しくなってきたな。


鄂煥をもし寝返らせても、川からだと馬騰相手に分が悪い。

城攻めしても、孟獲相手には分が悪い。


まあそれでも、鄂煥を敵にするよりは、寝返らせた方がいいだろう。


司馬懿で隣接して篭絡を仕掛け寝返らせた。

そのまま馬騰を攻め、なんとか一騎打ちに持ち込んだ。

捕虜にはなってしまったが、馬騰の体力をだいぶ削った。

馬騰の兵も1になった。




司馬懿で韓徳に近づき、韓徳を寝返らせた。



9日目

孟達とジンソウを退却させる。

兵10の元気な李堪で馬騰を攻撃。

馬騰を倒して馬騰軍は滅びた。



今回活躍した馮習と韓徳には褒美を与えておこう。






2022年06月22日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その17

207年6月

安定から漢中を攻める。

漢中は山ばかりなので、山軍を中心に編成。


許チョ、典韋、徐晃、越吉、姜維の5部隊。

総大将は徐晃。




敵は6部隊。

城を守るは呉懿(平軍、知力83・武力89、兵9)。

知勇兼備の将軍だ。


忠誠度が低い武将で近づくと篭絡でやられそうだな。





偵察してみると、城に隣接して東に兀突骨(武力84、忠誠度28)がいる。


城の南には張任(武力80、兵9)。

城の北は申耽(平軍・兵8、武力70)。忠誠度26なので寝返りそうだ。

城の西は呂蒙(水軍・武力68、兵5)。これも忠誠度25しかない。



戦術としては、姜維の篭絡で、

まず呂蒙を味方にして、川から張任を攻めさせよう。
兵は少ないけど、水軍なので何とかなるかも。


次に申耽に篭絡で寝返ったらそのまま城攻めさせる。

さらに兀突骨篭絡で寝返ったらそのまま城攻めさせる。

だいぶ減ったところで、許チョを突っ込ませよう。



4日目

呂蒙が寝返った!

張任に攻撃。張任の兵を0にしたが一騎打ちで捕まってしまった。



5日目

呉懿が姜維に篭絡を何度も仕掛けてくる。

さらに連環の計で川を動けなくなった。

これはやばいな。

いつか姜維が寝返りそうだ。



機動力残り33


申耽を篭絡 →失敗!

兀突骨を篭絡 →失敗!

申耽を篭絡 →成功!


これで残り機動力が3。

申耽で城攻め。


申耽は捕まったが、呉懿の兵を4まで減らせた。





呉懿に篭絡を仕掛けられ、姜維が寝返ってしまった。



7日目

許チョで城攻め。

呉懿を倒して入城。



敵は一目散に逃げだした。



8日目

兀突骨は篭絡で味方にしたいけど、篭絡を使える武将がいないので、ここで退却。

姜維も寝返ったままだし。



曹操軍 損兵 1900
劉璋軍 損兵 1400


許チョの体力と兵が減ってるので回復させて、
もう一度安定から漢中に進軍。





許チョ、典韋、徐晃、越吉、法正の5部隊。

総大将は徐晃。




兀突骨を城に入れられたらいやだったけど、

城を守るは兵0の張任。

やはりコンピュータは忠誠度の低い武将は城に入れないようだ。




こうなると、法正で、兀突骨を寝返らせて城攻めさせるのが一番早い。


それか、姜維を寝返らせて、姜維に兀突骨に篭絡して攻めさせるか。



しまった。兵0の武将が一歩引いて、姜維が城に入った。


こうなると、兀突骨を寝返らせてから姜維を攻めないといけない。

これはちょっとやっかいなことになったぞ。

下手したら姜維を殺してしまう。




2日目

法正で少し近づいて、兀突骨に篭絡をかけるも失敗。



3日目

姜維は法正に篭絡を仕掛けてこなかったので

この場所で成功するまでやろう。

何度かやってるうちに、法正で兀突骨を寝返らせた。



兀突骨で姜維を攻撃。

危うく殺しかけたが、

体力残り4でやっと降伏してくれた。



兀突骨が入城して、隣接する張任を攻める。


張任、残り体力1でかろうじて降伏。


張任、忠誠度高いイメージなんだけどなぜか忠誠度65。


忠誠度99でもよさそうなのに。


まあでも、体力1で降伏はイメージにちょっと近いかも。




残るは楊松ただ一人。


典韋で攻撃して倒した。



とりあえず漢中を攻略できた。

姜維も戻ってきたしよかった。

一度は味方になってた呂蒙と申耽は退却したようだ。

またどこかで会うだろう。




早速徴兵をして、

漢中には病院が無いから、体力減ってる武将は安定に送ろう。



命令書はあと1枚。

漢中の民忠が低いから施ししておこう。





西安陽に張[豈頁]だけを残して、

蒋奇、韓徳、孟達、馮習を安定に移動させよう。

全員水軍なので、西平関の攻略に使うのだ。







2022年06月20日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その16

207年4月つづき


攻め落とした西安陽の統治度が低いので民に施しをして、


長安から安定を攻める。


曹仁、荀[或〃]、牛金、梁綱、曹熊、孫礼を長安の守りに残し、


徐晃、許チョ、典韋、司馬懿、司馬昭の5人で攻める。


総大将は司馬懿。





敵はジンソウ、崔諒、馬鉄、崔[王炎]の4人。


城に近づき、機動力が余ったので、司馬懿で火計を仕掛ける。

崔諒の兵が2減った。



2日目。

先鋒の許チョが崔諒に攻撃を仕掛ける。


そのまま城に攻め入る。

城を守るは馬鉄。


お互い、兵が0になり、武将同士の一騎打ち。
許チョが馬鉄を討ち取った。


そのまま許チョは城に入った。


敵は一目散に逃げだす。


逃げるところを徐晃が崔[王炎]に攻撃してせん滅。



さらに徐晃がジンソウを攻撃。

水軍のジンソウは川に陣取っているので、平野で待ち伏せしておびき出す。

ジンソウを捕虜にして安定を陥とした。


徴兵して、許チョとジンソウの体力を回復。




207年5月

命令書の数が1枚増えて7枚になった。


并州の武将が水軍ばかりなので、安定の守りにいいかも。

西平関を攻めるのにも水軍が必要だし。


というわけで、西安陽の孟節を并州に送り、

并州の武将を全員、西安陽に送る。

みんな水軍の中堅武将。

西安陽にもともといた姜維らを安定に送り、漢中攻略の準備を進めた。



次回は、安定から漢中を山軍で攻めて、

西安陽から安定に移動して、さらに西平関を水軍で攻める予定。

そろそろ、袁紹軍も攻めたいな。








2022年06月16日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その15

207年4月、軍事侵攻開始。

まずは、并州から西安陽に攻め込む。


金が968しかないから、4部隊プラス兵5の姜維で。




李堪、姜維、程普、越吉、陳蘭。


総大将は程普。



敵は6部隊。

城を守るはタイライ(武力47)


張粛(兵10)、法正(知力91、兵5)、

孟節(兵0)、董允(兵0、平軍)、韓遂(知力87、平軍、兵10)

やばいなここ。知力高い武将が多い。




先鋒の越吉(山軍・武力78、忠誠度30)で法正に攻撃を仕掛けてみた。

法正を捕えた。



董允で越吉に篭絡を仕掛けられたらやばかったけど、董允は退却。


タイライが城から出てきて、韓遂が城に入った。


越吉で、城の韓遂を攻める。

韓遂を倒して城に入った。

そのままタイライに攻撃。

タイライを倒した。

さらに孟節に攻撃。

孟節を捕虜にした。


城から打って出て、山にいる張粛も倒して

西安陽を3日で攻略した。


しかも、兵を1兵も失わずに。

越吉大活躍。







2022年06月11日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その14

206年11月

そろそろ配置を考えよう。基本的に平軍で武力70以上の武将と、知力80以上の武将を置いておこう。


劉璋軍との最前線・衝陽は関興(新野から移動)、馬謖(荊州から移動)。

孫権軍と接する・荊州は廖化(衝陽から移動)、王甫。

予州はリョウ統([亠兌]州から移動)、劉曄、司馬炎。

[亠兌]州は張[合β]、曹植。

徐州は張遼、楽進、李典、朱霊、史渙、[赤β]昭。



西の最前線・長安は曹仁、牛金、荀ケ。

并州は程普、姜維。


予備で李厳。





攻めるは、

対袁紹軍に夏侯惇、夏侯淵、馬超、馬岱、曹彰、孫翊、程c、田豊。

対馬騰軍に許チョ(衝陽から移動)、典韋(新野から移動)、王双(徐州から移動)、司馬懿、司馬昭、賈[言羽]。


対劉璋軍に張飛、趙雲、[登β]艾、徐庶。


対孫権軍に関羽、関索、文聘、ケイ道栄、諸葛亮、陸遜、審配、韓猛(冀州から移動)。




206年11月から207年2月。

戦略に沿って配置換え。




207年3月

産業を上げて、いよいよ次回から戦に出ます。







2022年06月10日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その13

206年3月

産業を上げる。



206年4月

情報集め。



206年5月

[亠兌]州で公孫康が司馬炎を見つけた!

三国志の後の晋の時代の皇帝だ。

知力82、徳80

情報集めのスペシャリストだな。

予州で情報集めに苦労してるから連れて行ってみよう。




冀州で李厳が呂曠を見つけてきた。




206年6月

荊州で徐庶が王甫を連れてきた。


206年7月

幽州に移動した李厳が情報集め。馬超も行ってこい。

予州では、劉曄、麋竺、司馬炎の3人で情報集め。

あとは体力回復など。




206年8月

予州で司馬炎がやっと見つけてきた。[登β]艾。


幽州では馬超が陳琳を見つけてきた。

建安七子だから文官なはずなのになぜか武官(笑)

武力75で山軍だから貴重な戦力となる。

さっそく徴兵しておこう。






建安七子
けんあんしちし

中国、建安(後漢(ごかん)の献帝劉協(りゅうきょう)の年号、196〜220)年間の文人。
孔融(こうゆう)(153―208)、王粲(おうさん)(177―217)、劉(りゅうてい)(?―217)、陳琳(ちんりん)(?―217)、阮瑀(げんう)(?―212)、徐幹(じょかん)(171―217)、応瑒(おうとう)(?―217)の7人をさす。
曹丕(そうひ)がこの7人を批評の対象に取り上げたことに始まる。このうち孔融は世代も上で立場も異なり、曹操に早く殺された。
ほかの六子は、三曹(曹操およびその子の曹丕、曹植)に仕え、主従の関係を越える価値を文学に共有し、新しい文学集団を形成した。
後漢末の動乱期を反映し、悲哀と激情に傾く作品が多いが、「建安の風骨」(李白(りはく))と称されるように、修辞に埋没しない人間存在の高揚がみられる。
また民間の歌謡であった五言詩を知識人の文学形式に定着させたことは、中国文学史の展開に大きな影響を与えた。




これでほぼ出たかな。

洛陽で曹芳(魏の第3代皇帝)が出るはずだけど、あえて今出さなくてもいいだろう。

武将の移動とかもしたいし、余計な人材は抑えたい。



体力も満タンになったし、全ての城で徴兵も完了。

土地を上げつつ、

そろそろ今後の戦略を考えよう。



まずは、遼東の袁紹を倒してしまおう。

幽州、青州あたりから出陣したら取れるだろう。


そのあとは、、、


って考えてたら


孫権軍が[亠兌]州に攻めてきた!

敵は7部隊。総大将はリョウ統。



城の守りは張[合β]に任せて、

張飛は砂地に陣取る。

敵に陸遜(山軍・武力63、知力97)がいるから

篭絡されないように、先に倒してしまおう。


陸遜は川に隣接しているから川で晏明(水軍・武力51)に突撃させよう!

計略ですでに100減らされてるけど。


うまく陸遜を捕虜にした。


張飛は砂地で朱治を倒した。



さらに晏明(水軍・武力51)が川で戈定(山軍・武力68)を攻撃。

戈定を捕虜にした。晏明大活躍!



張飛(山軍・兵3、武力99)が総大将のリョウ統(平軍・兵10、武力87)に山から突撃。


むちゃくちゃ強いな、張飛。

リョウ統を捕虜にした。


戈定と陸遜とリョウ統が仲間になった。

[亠兌]州には病院が無いから、洛陽にでも送っておこう。







 

2022年06月09日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その12

205年6月

情報集めと体力回復。


205年8月

冀州で李厳が韓猛を連れてきた。

水軍で武力88。かなり使える。




205年9月

洛陽で曹丕が夏侯楙を連れてきた。


新野では馬良が李珪を連れてきた。


続々と出だしたけど、予州だけは全然出てこないな。


相変わらず郭嘉は行方不明だし。

史実通りに早世したのかな。



9月なので土地を上げよう。



205年10月

雍ガイの体力が60だったので

冀州に連れて行って病院に行ったら、

お気遣いは無用と言われてしまった。

体力60でMAXなのかよ。南蛮武将なのに(笑)


韓瑛の体力を上げて、多分これで全員の体力が満タン。
兵力も満タン。

そろそろ、今後の戦略を考えながら配置換えしよう。



もう来月は12月なのか。

また情報集めの日々が始まる。

1年早いな。


幽州にMAXの12人いるので

并州に少し送っておこう。

張[豈頁]と韓徳と越吉を送った。

そして情報集めしておこう。





206年1月

新野で馬良が関興を見つけてきた!

衝陽で趙雲が趙翼を見つけてきた!

徐州で李典が王双を見つけてきた!

青州で田豊が陳震を見つけてきた!



206年2月

予州で劉曄が路招を見つけてきた!

長安で司馬懿が孫礼を見つけてきた!

青州で田豊がオウショウを見つけてきた!
この人物はよくわからない。

并州で孟達が蔣奇を見つけてきた!

青州の田疇が体力ほとんどなかったので回復させた。









 

2022年06月08日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その11

204年12月

一斉に情報集めをしていると、

劉璋軍が并州に攻めてきた。


総大将は厳顔(平軍)。馮習(水軍)を連れてやってきた。

守るは、程普、李堪、姜維。


馮習の忠誠度が低いから篭絡で厳顔にぶつけようかな。

厳顔は、知力と武力を上げられている(笑)



遠くにいる馮習に篭絡が効いた。
さすが姜維!

すかさず川にいる厳顔に攻撃を仕掛けた。


厳顔を討ち取った!


だいぶ体力減ってたのにそれでも向かってくるんだもんなぁ。





205年1月

長安で荀ケが曹熊を見つけてきた。

徐州で李典が王忠を見つけてきた。



205年2月

荊州で諸葛亮が徐庶を見つけたが、

「わたしはまだ主に仕える気はございません。いずれまた」

と言われてしまった。


史実と逆な気が(笑)

もう一度行かせよう。



一斉に情報集めに行かせてたら、

また劉璋軍が并州に攻めてきた。



今度は4部隊。

先鋒は孟達(水軍)。忠誠度が低い。

雍ガイ(山軍、武力65)、孟優(平軍、武力59)

総大将は韓瑛(平軍、武力63)だ。



4日目。

孟達に篭絡を仕掛けたら一発で寝返った。


そのまま総大将の韓瑛に突っ込ませた。
韓瑛はいったん退却し、韓瑛の兵は脱走した。



さらに雍ガイも寝返らせて、
韓瑛の背後の山から襲わせた。


こうなったらひとたまりもない。
総大将の韓瑛を捕虜にした。




205年3月


[亠兌]州で公孫康が呂虔を見つけてきた。

徐州で李典が史渙を見つけてきた。

統治度が60を下回ってる城を中心に、国づくり。



205年4月

引き続き、情報集め。



205年5月

衝陽で趙雲が廖化を発見。

冀州で李厳がボクトツを発見。

冒頓単于(ぼくとつぜんう)は匈奴帝国最盛期の王。 東胡、月氏などを征服、一代で匈奴帝国を築き、前200年には漢の高祖を破った。 トルコの切手になった冒頓単于。

こんなところで見つかるとは。

ん、前200年か。別人じゃん!

誰なんだ、ボクトツ!



205年6月

荊州で諸葛亮が徐庶を連れてきた!

并州で、馮習が陳蘭を連れてきた。




しばらくは情報集めしたり、冀州で体力回復したり、
国づくりしたり、配置換えしたりしよう!

許チョを第一線で使おう!






2022年06月04日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その10

1週間以上ぶり。

どこまでやったか忘れてるけど、

こういうときもブログは便利。

前回の記事を読めば、思い出せる。



冀州の城を守り抜いたってところから。


并州はすでにボロボロだから攻め込んだら勝てるけど、

どうしようかな。





204年11月

許チョを第一線で使っていこう!

しばらくは国づくりにいそしみながら

今後の戦略を考えつつ適材適所に武将を配置替えしていく。



とりあえず、并州だけ獲ってしまおう。


冀州は守る必要がなくなるので元気な人全員で行ってもいいな。
といっても、李堪、程普くらいしかいないな。

長安からも攻められるけど、守りで手一杯な感じ。


幽州から行くかな。

と思ったけど、并州はすぐ獲れそうなので、
冀州から攻めよう。


李堪(兵8)、程普(兵10)、姜維(兵0)


姜維の体力が少し減ってたので、
回復だけさせていざ出陣!


城を守るは楊阜(兵4)
李堪が城に隣接して攻め込み、
楊阜をせん滅した。


あっさり、并州は獲れた。

とりあえず、并州で徴兵と民に施し。

金が1になってしまった。


長安から金300運び、さらに施し。




あとは、しばらくは情報集めしたり、冀州で体力回復したり、
国づくりしたり、配置換えしたりしよう!








2022年05月26日

ナムコ三国志(中原の覇者) リプレイ日記 曹操 その9

204年6月

[亠兌]州で曹植が出てたから、
程cを幽州攻めに参加させられるな。
攻撃起点の冀州に呼び寄せよう。
水軍の程cは貴重かも。

夏侯惇と夏侯淵も戦に連れて行きたいけど、
[亠兌]州の守りが手薄になってしまう。


幽州に攻める武将:曹彰、蒋欽、李堪、楊秋、程c。

冀州を守る武将:程普、姜維、侯成。





勝てるかな?

一応、夏侯淵と夏侯惇も連れて行こう!

手薄になった[亠兌]州には予州から張飛と晏明を移動させよう。

そして、晏明と公孫康にも兵を持たせた。

張[合β]と張飛と曹植がいれば大丈夫だろう。


冀州の金が少ないので洛陽から送っておこう。





204年7月

冀州から幽州を攻める。

夏侯惇、夏侯淵、曹彰、蒋欽、李堪、楊秋、程cの7部隊。

総大将は夏侯惇。


いざ出陣!



敵は合計8部隊、いずれも兵10。

兵力は曹操軍 5000 VS 馬騰軍 8000

まずは偵察で敵の情報を探る。


城を守るは馬超(山軍・武力98)

雷薄(山軍・武力87、忠誠度29)
韓徳(水軍・武力51)
張[豈頁](水軍・武力58、忠誠度31)
賈範(平軍・武力32)
越吉(山軍・武力78)
張横(平軍・武力69)
馬岱(山軍・武力84)




まずは張[豈頁]に篭絡を仕掛け寝返らせた。
張[豈頁]が川から賈範に攻撃。賈範を討ち取った。

さらに越吉に攻撃。
2回突撃して兵を2まで減らす。


韓徳が張[豈頁]に攻撃を仕掛けてきた。
兵が6まで
減らされたが、韓徳を捕えた。



3日目。

張[豈頁]が越吉に攻撃。
越吉を捕虜にした。


雷薄に篭絡を仕掛け、3回目に成功!
ギリギリ機動力が3残ってたので、
城の馬超に攻撃!

馬超の兵を5まで減らした上、一騎打ちに持ち込んだ。
あと一撃でやられるというところで降参。

馬超の体力をだいぶ削れた。

さあ、誰で行くか。



馬岱に共殺の計をかけるも失敗。

全軍少しずつ城に近づく。

張[豈頁]が一歩陣を退くと張横が川に入ってきた。

楊秋で張横に攻撃を仕掛ける。


張横を討ち果たした、



馬岱が川に入り、張[豈頁]に攻撃を仕掛けてきた。

すぐに退却すると兵が100人逃げて0になってしまった。



水軍の楊秋で馬岱に攻撃を仕掛ける。

2回攻撃を仕掛けて馬岱を捕えた。



7日目。

12人を超えてしまったので、李堪を一人冀州に返す。



蒋欽で馬超に攻撃。

兵5の馬超はすべて弓隊で、城に入る兵がバッタバッタと倒されていく。

それでも何とか、弓隊と歩兵が生き残り
かろうじて馬超を捕えることができた。


「こうなっては 仕方ありません

む む 無念」



体力は残り9だった。





204年8月

命令書の数が1枚増えて6枚となった。

体力の減った武将の体力を回復させていく。

全体的にお金が少ないので、
情報集めに行かせた。




204年11月

馬騰軍が冀州に攻めてきた!


6部隊やってきた。

成宜(山軍・武力66、兵6)
張南(水軍・武力61、忠誠度26)
李厳(平軍・武力84、忠誠度67)
ホウ柔(平軍・武力61、忠誠度66)
沮鵠(平軍・武力57、忠誠度60
ホウ徳(平軍・武力96)

敵の総大将はホウ徳。


程普を城に残して、姜維、侯成、李堪を少し離したところに陣取らせる。



姜維が張南に篭絡を仕掛けるも失敗。


2日目

姜維が張南に隣接して篭絡を仕掛け、寝返らせた。
張南は川に陣取る。

張南が川から李厳に攻撃。

李厳は武力が20以上高いけど、
姜維の計略で少し減らして川で戦い、
李厳を捕虜にした。


兵が7になった張南はさらに川を下り、ホウ柔の背後を取り、攻撃開始。


さらに姜維が沮鵠に隣接して篭絡を仕掛け、寝返らせた。
そのままホウ柔を攻撃、捕虜にした。


総大将のホウ徳が沮鵠に攻撃を仕掛けてきた。
沮鵠が捕まってしまった。

沮鵠の奮闘でホウ徳の兵は6まで減らせた。
ホウ徳は勢いに乗って姜維(兵4)の陣に攻めてきた。

姜維の兵が0になり退却。
ここで敵の機動力が無くなり、味方のターンに。
助かった。



5日目。

成宜が侯成に近づいてきたので山に入り攻撃を繰り返す。



7日目。

侯成が成宜を捕まえた。

ホウ徳が李堪めがけて川に突っ込んできたので、李堪がホウ徳に攻撃。これを討ち果たした。

できれば生け捕りにしたかったけど、
ホウ徳は体力残り僅かになっても攻撃してきた。

敵ながらあっぱれ。



とりあえず、冀州の城を守り抜いた。