「
孫子」 軍争篇第七
そこで、戦争は敵の裏をかくことを中心とし、利のあるところに従って行動し、分散や集合で変化の形をとっていくものである。だから、風のように迅速に進み、林のように息をひそめて待機し、火の燃えるように侵奪し、暗やみのように分かりにくくし、山のようにどっしりと落ちつき、雷鳴のようにはげしく動き、村里をかすめ取〔って兵糧を集め〕るときには兵士を手分けし、土地を〔奪って〕広げるときにはその要点を分守させ、万事についてよく見積りはかったうえで行動する。あいてに先きんじて遠近の計――遠い道を近道に転ずるはかりごとーーを知るものが勝つのであって、これが軍争の原則である。
臨機応変に動くこと。
さっそく実践してみよう。
208年6月永昌の城の様子を見てみる。
武将は5人。
君主の劉璋に、
忙牙長(山10)
金環三結(山10)
尹賞(山10、忠誠度40)
阿会喃(水7、忠誠度36)
成都の守りに、
荀ケ、法正、牛金、越吉
の4人を置いて、
成都から永昌に攻め込む。
典韋、孫礼、徐晃、姜維、兀突骨、許チョ、鄂煥、曹仁
の8人
総大将は徐晃。
姜維で尹賞を寝返らせて城攻めさせるか、
それとも、許チョでガンガン突っ込んでいくか。
おそらく、君主の劉璋は1ターン目で退却するだろうから
1ターンが勝負。
ここはやはり、先鋒の許チョに突っ込ませよう。
金環三結に攻撃。
金環三結を捕虜にしたが、
許チョの兵が減ってしまった。(兵5→3)
しかも、騎馬隊に少し武将の体力を削られてしまった。
(体力98→87)
ちなみに、金環三結は体力1だった。
そのまま許チョが城に隣接して、劉璋に攻撃。
兵3で倒した。
「劉璋は、戦いに敗れ、
その領地はすべて
曹操のものとなった」
味方になった城を見てみると、
フリョウ2人
王累、伊籍。
雲南8人。
呂凱、董允、申耽、黄権、孟優、高定、馬休、朱褒。
メンツを見ると、
成都へは攻めてこれないな。
ほとんどまともな戦力は残ってなかった。
フリョウと雲南、それぞれ民忠を上げて、
雲南から成都に武将を送って、
永昌から雲南に主力を送っておく。
と思ったけど、雲南には病院があるから
ちょっと誘ってみようかな。
董允と申耽は使えそうだから残しておこう。
永昌の主力の代わりに、成都から雲南に送っておこう。
荀ケ、法正、牛金、越吉の4人。
ちょっと弱すぎるから
曹仁、許チョ、阿会喃、金環三結を永昌から雲南に送っておこう。
徴兵もしたいし。
徴兵を終えたところで、
孫権軍が予州に攻めてきた!
さっそく、呼び込みに成功したようだ。